蟹のつぶやき kanikani

「2・28」事件2014年02月28日 22:14

2月が終わる。「2・28」という事件があった。台湾の話。 日本の「2・26」は知っていても、「2・28」は馴染みがないだろう。 1947年(昭和22年)の2月28日に、台湾・台北で起こり、全土に広がった国民政府に対する大規模な暴動で、一時は暴動側が全土を制圧するかにみえたが、中国本土から駆けつけた国民政府軍に蹴散らされ、台湾人が無差別発砲や処刑で殺戮された。その数は、いまだに確定しないものの、2万8000人と言われている。そして、布かれた戒厳令は、なんと40年後の1987年までも続き、白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑されてきた。 映画好きの人なら、1989年に公開された侯孝賢監督の映画『悲情城市』で、この事件を知ったひともいるかもしれない。 終戦時まで日本国籍だった台湾の人たちを「本省人」、連合国軍の委託を受けて日本軍の武装解除を行うために大陸から進駐し、その後、中共軍との戦に敗れて「遷都」する蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人は「外省人」と呼ばれる。当初は、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜んだというが、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望、「狗去豬來」=犬〔日本人〕はうるさくても役に立つが、豚〔国民党〕はただ貪り食うのみ=と揶揄したという。 事件の発端は、前日の2月27日、ヤミのたばこを売っていた本省人の女性に取締の役人が暴行を加えたこと。本省人たちが28日、市庁舎へ抗議のデモをしたところ、憲兵隊が発砲、事件は全土に広がった、という。この事件については、「本省人」として初めて李登輝が総統になった1988年になるまで語ることが許されなかった。 この「2・28」、今から40数年前の学生時代に、一緒に下宿をしていた文学部の学生A君がある夜、「2・28事件って、知ってますか?」と、声を潜めて語りかけてきて、初めて知った。台湾から留学していた学生から聞いたのだろう。日本でも大っぴらに話ができなかったのだと思われる。とはいっても、今では「金儲けする本」の筆者や実業家として知られている邱永漢は事件当時の学生運動のリーダーだった。当局の眼を掻い潜って、香港を経由して日本に逃亡した。彼は外国人初の直木賞受賞作家で、当時の日本に潜んだ「独立党」の小説なども書いている(今、彼の小説を読むことは簡単ではないのだが)。 観光客として出かけることはあっても、そんな台湾の近現代の歴史を、日本から出かける観光客の多くは知らない。