蟹のつぶやき kanikani

「ドランドの悲劇」2018年07月24日 11:55

「命の危険がある暑さ。一つの災害と認識している」とは。 確かに41・1度などという体温を大幅に上回る気温は、発熱状態。それも高熱だもの、「災害」というのも、分かる。この夏ほど、気象庁の記者会見を見聞きすることもなかった。天気予報のお姉さんたちも「不要不急の外出は控えて、クーラーもためらわずに効かせて」と呼びかける。 そんな「災害」が起きるほどの季節、2020年7月24日には、東京オリンピックが開幕するのだという。はて、五輪ランナーは日本の夏に勝てるだろうか。 1908年7月24日のロンドン。オリンピックが開かれていた。そして、なんとマラソンのランナーたちが走っていた。そして「ドランドの悲劇」と呼ばれた「事件」が起きた。 10万人が待つ競技場に最初に姿を現した選手は、イタリアのドランド・ピエトリ。しかし、その足取りはおぼつかなく、倒れては起き、ゴールの約30メートル前で5度目の転倒をすると、動かなくなった。その時、2番手のアメリカのヘイズ選手が競技場に入ってきた。競技場を振るわす「ドランド」コールの中、ピエトリ選手は競技役員に支えられてゴール。 このゴールに対して、アメリカが抗議、結局、ピエトリ選手は失格となり、ヘイズの優勝となった。それでも熱狂した観衆は、ドランドを称え、イギリスのアレクサンドラ王妃が記念の銀色のカップを贈った。 この日、ロンドンは「高温多湿であった」と多くのデータがあるが、どれくらいの気温であったのか。ネットで調べても、なかなか見つからなかった。唯一、読売新聞の2012年の記事に「気温26度、高温多湿の条件下」とあった。 このマラソン、完走して成績が残っているのが優勝のヘイズ以下24人。44人が途中棄権し、失格が1人。ドランド・ピエトリであった。途中棄権率は6割を超していた。 ついでにマラソンの42.195キロというコースの長さが決まったのは、この第4回のロンドン五輪の「ドランドの悲劇」に負うところで、端数が出ているのも、アレクサンドラ王妃が「マラソン競技のスタート地点は宮殿の庭とし、ゴールは競技場のロイヤルボックス席の前にするように」と要望したため、結果として当初予定していた26マイル(41.843キロ)より385ヤード延長されたのだと言われてる。 ちなみに2020年の東京大会の男子マラソンは閉幕の8月9日午前7時スタートだそうだ。さて、何度くらいの条件であっただろうか。