蟹のつぶやき kanikani

常設展で「東北を思う」 00:09


東京国立近代美術館が、7月31日(日)まで開いている「所蔵作品展」で、「特集 東北を思う」として、コレクションの中から①東北出身の作家の作品②モデルが東北出身の作品③東北の風景を描いた作品――の作品、あわせて39点を展示、特集である由縁の書き下ろし解説をつけている。

「このたびの震災では、これらの作家やモデルの故郷が大きな被害を受け、美しい風景も打撃を蒙りました。今、美術館にできることは何なのか。東北という場を栄養源として、約100年のあいだに育まれた数々の作品が語りかけるものに耳を傾けながら、みなさまと一緒に考えて行きたいと願い、この特集を企画しました」と企画の趣旨が述べられている。
萬鉄五郎の代表作《裸体美人》

具体的には、青森県八戸市の種差海岸をモチーフに描かれた、東山魁夷の代表作《道》をはじめ、岩手県東和賀郡十二ケ村(現・花巻市東和町)出身の萬鉄五郎の代表作《裸体美人》(国指定重要文化財)、松本竣介 《並木道》などに初夏の東北をイメージした青のキャプションがついている
松本峻介の《散歩道》
このほか、特集では、震災で消失した岡倉天心遺愛の「六角堂(観瀾亭)」(かんらんてい)をしのぶ「天心と五浦(いづら)と日本美術院」と題した展示も含まれている。平櫛田中の天心像である「鶴氅(かくしょう)」も一角に置かれている。
天心像。奥の青い紙が「東北を思う」のコメント






テロリストのパラソル 18:56


アルカイダのオサマ・ビン・ダディンが、ついに米軍に捕捉され、銃器をもたぬ「銃撃戦」の末に射殺されたという。それがあったがためではないが、藤原伊織の『テロリストのパラソル』が読みたくなり、手に取った。どれくらい前だったか、読んで滅茶、面白かった記憶があるのだが、さて、どんな筋であったか、すっかり忘れていた。再読、やはり面白かった。

小説の「帯」には、こんな風な紹介――。ある土曜の朝、アル中のバーテン・島村は、新宿の公園で一日の最初のウイスキーを口にしていた。その時、公園に爆音が響き渡り、爆弾テロ事件が発生。死傷者五十人以上。島村は現場から逃げ出すが、指紋の付いたウイスキー瓶を残してしまう。テロの犠牲者の中には、二十二年も音信不通の大学時代の友人が含まれていた。島村は容疑者として追われながらも、事件の真相に迫ろうとする―。小説史上に燦然と輝く、唯一の乱歩賞&直木賞ダブル受賞作。

改めて読んでみると、主人公・島村が過ごした青春時代は、69年の安田講堂闘争の時期の駒場。そして島村は友人たちと、闘争から抜け、大学もやめている。容疑者として追われている71年の爆弾事件があるのだが、これも実際には公安事件とされてはいるが、本当は政治闘争でもない、偶然の捲き込まれ事故でしかなかったのが、いかにも藤原伊織らしいところなのだろう。

初版が1995年9月。新宿駅西口の路上生活者の生態の描写と、そこにオウムを思わせる宗教関係者を書き込んでいるのも、面白い。初めの公園での事件が発生する直前に島村が少女と交わす会話、事件が発生直後に島村の周辺に登場する警察官の過去をもつ新興ヤクザの浅井、事件の被害者に含まれていた大学時代からの友人で、一時期は同居もしていた女性の娘……。登場人物の輪郭もクッキリしてリズムがある。

藤原作品は、これ以外も一通り読んで、面白かったのだが、ほとんど忘れてしまった。もう一度、読んでみることにするか。どうも真新しい最近の本を開くより、かつて読んだ本を、もう一度開いてみたくなるような年齢になっているようだ。

ゴーギャン展 08:37

(無題_09年07月04日_084023)


画家が目指した芸術の集大成であり、その謎めいたタイトルとともに、後世に残されたゴーギャンの精神的な遺言とも言える大作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の日本初公開など、『ゴーギャン展』が東京国立近代美術館で始まった。9月23日まで。大作などを所蔵するボストン美術館をはじめとする油彩や、『ノアノア』のための木版画では残された3種類の刷りを内外の美術館から集めるなど約50点。腹八分目のボリューム感で、後味は悪くなかった。

初日の3日は金曜日。午後8時まで開館しているので出かけた(会期中は土曜日も20時まで開館)。この日は学校の教職員を対象とした鑑賞プログラムも行われていたが、さした混雑まではなく、お行儀も良い中での鑑賞。

展覧会の構成は
1章 内なる「野性」の発見
2章 熱帯の楽園、その神話と現実
3章 南海の涯(は)て、遺言としての絵画

第1章では、印象主義の影響が色濃く残る初期のスタイルから、ケルトの伝説が息づくブルターニュ地方との出会い。「そこで画家は、形態を単純化し、縁取りのある平坦な色面によって堅固かつ装飾的な画面を構成するスタイルを確立」していく。国立西洋美術館の松方コレクションでおなじみの《海辺に立つブルターニュの少女たち》などの画が並ぶ。
ここでは熊谷守一のフォルムを連想するような《洗濯する女たち、アルル》の洗濯女たちの尻の作り出すリズムが楽しかった。一方、横たわる女の左肩に狡猾な狐が腰掛けている《純潔の喪失》という絵は、画家の当時の状況が狐と重ねられているのか、不可思議な絵であった。

第2章では、タヒチの原始と野性が、造形的な探求にさらなる活力を吹き込むことを期待しての旅立ちから。すでに無垢な楽園はなく、ゴーギャンは西欧文明の流入によって失われつつあるマオリの伝統に思いを馳せ絵筆を走らせた。大原美術館にある《かぐわしき大地》などの油絵が並ぶ。
「ノアノア」の連作版画がまとまっているのも、この章。ゴーギャン自身の「自擦り」と「ルイ・ロワ版」、「ポーラ版」と、同じ版でも擦りによっての印象の違いが如実に理解できる。「ルイ・ロワ版」はボストン、「自擦り」と「ポーラ版」は岐阜県美術館所蔵のものだ。

第3章では、パリに戻って、タヒチ時代の作品に対するパリ美術界の無理解に幻滅し、二度と戻らぬ覚悟で南海の果てへ。健康状態が悪化、財政も逼迫して制作もままならない日々が続き、さらに最愛の娘の死の知らが届く。自らの運命を呪いながら、ゴーギャンは遺言としての大作の制作に着手する。蒼ざめた馬にまたがった死の神と、付き従って死の世界へと踏み込んでいく青年の姿を表現したという《浅瀬(逃走)》(プーシキン美術館蔵)なども。大作には、ゆったりと展示室が1室、その手前では大作の見方を映像で見せる部屋も。

最後の位置にあるのは、亡くなる直前の《女性と白馬》(ボストン美術館蔵)。もう画家に力は残っていなかったのかもしれないが、逆に女性の細さ、自然のグラディエーションの美しさ、そして画家がすぐ後に埋められた墓地の在り処が見える丘の上の十字架。どこかホッとした。

惜別 仕事人生 09:27


大倉 文雄
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人は一生に一冊の本が書ける、という。その一生を本に例えた言葉だが、この人の場合、2分冊に分け、細々としたデータを含め、その半生を書いている。序章で「死後の世界はわからないが、私が勝手に想像する浄土は、まず輝くばかりに明るくなくてはならない。そして、さぜか寒気の厳しいところである」としているのも、彼にとって生涯で一番印象深かったのが、1963年11月に立った南極点の記憶だからだろう。大倉文雄。朝日新聞の学芸・科学部から経済部から、テレビ朝日取締役、静岡県民放送(現静岡朝日放送)社長。新聞記者の駆け出し時代から、それぞれの時期の話がすべて実名で記述されている。日銀担当時代に次期総裁の人事を誤報した、などというのは新聞記者としては命取りほどの誤報だが、誤報も大きければ大きい方が良いのかも。有楽町にあった朝日新聞の社屋が築地へ移転する際、阪急や日劇と共同でマリオンを建てていく裏話、テレビ朝日での10年間の文化活動へのアプローチなどを書いている。恐らくメモ魔という言葉が昔あったが、この筆者は、事細かにメモを残してきたのであろう、と思った。

日めくりタイムトラベル 07:23

(無題_09年04月12日_072548)


「昭和のとある1年」が、どんな「1年」だったのか。
それを映像や、その年に生まれたゲストが検証したりする。タイム・トラベル。毎月、BS第2チャンネルで毎月第2土曜日の夜8時から11時まで放映して、すでに19回が終わっている。毎回の番組をなるべく見ている。懐かしいのと、現在の眼から見て、あの時代が、どういう時代であったのか、と位置づけを含めて考える参考になるような気がしている。今回は「昭和40年」。
私は大学1年から2年になる頃だった。1月から2月にかけて慶応大学の授業料闘争があり、学校側が譲歩した。それ自体は過激でもなんでもなかったが、その後の学園闘争の序曲。「テケテケテケ」のエレキ・ブームを齎したベンチャーズの来日。丸山明宏(美輪明宏)の「ヨイトマケの唄」のレコード発売。「売血」から「献血」へのキャンペーンや、テレビコマーシャルの「わたしにも写せます」というフレーズが流行語となった、扱いが簡単な新方式の8ミリカメラ「フジカシングル8」発売など、今から考えてみると、この年の時代的な転換点としての意味が見えてくるように思える。
が、何よりこの年を特色付けているのは「ベ平連」運動の始まりの年であることだろう。小田実や開高健の呼びかけによって結成されたのが「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」、通称「べ平連」だ。清水谷公園での集会から、8月15日の徹夜ティーチイン、カンパを集めてのNYタイムズ紙への反戦広告掲載など、その残した足跡は消え去ることはなし。何より、その組織論としての「ベ平連」は忘れてはならない、智慧の結集の成果だと思われるのだが、これを継承して地道に大衆を糾合していけるだけの組織論、なにより「役者」が出てきていないのだろう。昭和40年生まれのゲストをはじめ平成に近い若者?にも、改めて、この日のべ平連と、その周りでそれを「しなければならない」と思い、「北」の被害に思いを寄せられた人々への話には共感以上のものを与えたようだ。