牛込下宮比町十三番地 ― 2007年05月06日 10:33
図書館の「伝記」のコーナーの本を渉猟するのは楽しい。いろいろなジャンル、さまざまな時代・国の人々の歴史がそこにあるからだ。
伝記というのは基本的に、いずれかのジャンルで活躍した個人について、残された人生・業績を、後世に記していく作業といえよう。歴史的な人物――武将であったり、政治家、文人、僧侶などなど――についての多くは、それぞれの道の研究者が、伝記を作っている。同時代の政治家などについての「伝記作家」というジャーナリスティックな筆者もいる。
その中で、その「伝記」書籍の背表紙に記されるタイトルは興味深い。 地番だけが表記された本は珍しいといえよう。サブタイトルが付いていた。「糖尿病研究の黎明期に活躍した坂口康蔵を育てた家と人たち」とある。
筆者は、坂口康蔵の息子である坂口孝。坂口の4男で1930年生まれ。千葉大学薬学部を卒業し、大日本製薬、ヘキストジャパン、萬有製薬でそれぞれ開発・研究の責任者として、一貫して糖尿病治療を含む新薬の開発研究に従事。現在西武学園医学技術専門学校講師など。00年11月に上梓。
第1章で、牛込の家が昭和20年4月14日未明に空襲で焼けるところから始めている以外は、康蔵の生誕・成長の時間順に書かれている。
主人公の康蔵は明治18年生まれ、というから1885年。祖母「うた」の夫が福岡・筑前黒田藩の家中で300石取りの御殿医。夫が亡くなった時、長男の前(すすむ)とその2歳下の妹「さき」が残されていた。子連れで飯炊きに雇われていた福岡藩士の家の尼ごぜに頼まれたのが「七卿落ち」で長州へ落ちた7人のうちの5人が匿われていた対岸の島へ食事を運ぶ仕事。この5人の中に三条実美がいて「世の中はいずれ変わって、われらの時代になろうがそうなってもそなたのことは忘れない。いつでも困ったことがあれば予をたずねて参れ」といわれたそうな。
明治5年に「うた」は成人した息子に父の志を遂げさせようと東京へでる。長屋住まいで西洋医学を学ばすために済世学舎、通称東京医学校の別科に入り、ホフマン、ベルツ、樫村清徳らについて学ぶ。大家が突然、病気になった際診察し、いまでいう脚気であったことから小豆を煮て食べさせ全快した。感謝した大家が、息子の前(すすむ)に開業を勧める。「うた」は三条さんに揮毫を頼み「観成堂」医院を名乗る。
主人公の康蔵は、前の次男。兄・昌洋との兄弟で好成績で進学し、2人とも本郷向ケ原の第一高等学校第3部に入学する。「好事魔多し」で兄は、医院の手伝いをして診療しているうちに発病、耳が聞こえなくなる。「うた」は稲荷の勧請までして、兄の快癒を祈ったが、耳は治らなかった。
康蔵は一高時代、近藤潤平、高橋明、瀬川昌世、守谷茂吉(のちの斉藤茂吉)らが同級。3部は医学志望でドイツ語。この同期でフランス語の2部には安部能成、堀切善次郎、鳩山秀夫、穂積重遠、藤村操など。
明治42年、東京帝国大学を卒業。医化学教室に入り、隈川宗雄教授、須藤憲三助教授の指導を受ける。尿糖定量法――アルカリ性の下で還元糖を2価の銅塩とともに加熱して1価に銅を還元して無色にする反応をりようした方法を会得。この後、青山内科(青山胤通教授)に入る。
大正3年(1914)に数え30歳で、添田寿一氏の3女、英子と結婚する。添田は福岡の遠賀川沿いの老良という小村生まれ。書をよくしたが、大阪府知事渡辺昇に書いた書に落款を押そうとするのを止められ、黒田家の貸費生になると東京帝国大学に入学、黒田家の若殿のご学友となる。卒業後、大蔵省主税局に就職するが、黒田長成の洋行に同行、ケンブリッジ大学で政治経済学を学び、明治20年、ドイツ、ハイデルベルグ大学を経由して帰国。大蔵省主税官として日本国の財務の整理改善に貢献、24年には大蔵大臣秘書官、26年に貨幣制度調査医院となり金本位制度の実現のために働いた。明治31年には大隈、板垣内閣の松田正久蔵相の下で大蔵次官に就任、35歳だった。その後、台湾銀行総裁、日本興業銀行創立に伴いその総裁に任命され、5000万を円の公債を英仏で売り出し外資導入。
康蔵は青山内科から伝染病研究所技手を命じられる。青山胤通と伝研の北里柴三郎との間の噂された確執の話。 父親が亡くなり、青山教授が亡くなる。その後、稲田龍吉教授の稲田内科となるが医局をまとめる。 関東大震災の後、大正15年、欧米に出張を命じられ、昭和2年5月27日に帰国。 東京警察病院の初代院長を勤める。 昭和9年、16年間の稲田内科から坂口内科に。康蔵が教授となった。
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