正露丸のラッパ――クスリの国の図像学 ― 2008年09月25日 06:19
ところが、当時の広告を見ても、一向に「ラッパのマーク」が登場していた訳ではなさそうだ。「ラッパ」は木口小平というラッパ卒が突撃ラッパを吹きながら吶喊(ちょっと矛盾)、「死んでもラッパを離しませんでした」という国定教科書のフレーズで、日露戦争とは深く結びついたイメージなのだが、どうやら後世、「正露丸」を買収した大幸薬品が演出したものらしい。――そんなことが、もっともらしく、しかも面白く、その上、楽しい図像も満載した本に出会った。河出書房新社から出版されている。田中聡という、富山出身の人が書いた本。「クスリ」と富山の取り合わせがまた良い。
本の紹介文も良いので、ここに紹介――これぞ新しいドラッグ(薬)の楽しみ方。薬効は、その成分や処方ではなく、名前やパッケージ・デザイン、広告表現や五感に訴える全体のイメージによって支えられている。見ているだけで万病に効いてくるような気がする、愛しい、かわいい、おかしい、懐かしい薬の絵姿を一堂に集めた、大衆薬の歴史博物館。
本の中では、この「売薬売り」、いわゆる配置薬を背に配って歩く「薬売り」の話も出てくる。「薬売り」は「忍者」説。確かに、諸国御免の職業は幕藩時代に多くはない。その中で、この「薬売り」、絶好の隠れ蓑であったに違いないし、情報の流通を媒介する役目も果たしていたらしい。他国のニンゲンが入りにくかった薩摩の国で、禁制であった「浄土真宗」が、維新になった突然、大きな宗教勢力になったことに「薬売り」の果たした力が大きかった、というのはなかなかの卓見に思えた。
天狗と民間療法の薬の関係であるとか、幕藩時代にそれぞれの国で、特産の薬舗が「本舗」になり、全国に売っていった歴史。浅田飴の「浅田」さんが、維新の頃に漢方医で皇族の命も救った名医の名をとったものであることなど、トリビアの海だ。