蟹のつぶやき kanikani

鉄道忌避伝説の謎――汽車が来た町、来なかった町2008年09月28日 17:27


鉄道忌避伝説の謎
汽車が来た町、来なかった町 

 
青木栄一さんという、東京学芸大名誉教授の著書。書名通りの本だ。「鉄道忌避伝説」というのは、「明治の人々は鉄道建設による悪影響に不安をもち、鉄道や駅を町から遠ざけた」という説だ。学校でも、多分、人文地理といった教科で、そのようなことを習ったような気がする。そして、その説には説得力があるように思われた。それって、本当だろうか、というのが著者の疑問であり、そこから研究が始まった。筆者がその「説」を「伝説」と表現するのは、多く語られているにも関わらず、実際には歴史的な証拠がない、という点だ。

鉄道の建設の歴史というのは、明治5(1872)年の新橋―横浜間で始まり、2年後には神戸―大阪間が開通、京都へ延びる。明治16年には日本初めての私鉄、日本鉄道が上野―熊谷間に通じるなど、何度かの大きな波のように広がっていった。伝説というのも、その時代のことなのだが、現実には当時の新聞をひっくり返しても、鉄道や地方自治体に残る公文書を探しても、「建設促進」「鉄道誘致」の証拠は数多く残されているのだが、それに反対ということを示しているものは殆どない、という。むしろ、鉄道と旧街道が離れている、つまり「伝説」のケースを検証すると、例えば地形としての勾配であったり、要求された「直線」に近い鉄道側の技術・経済に負うところが大きいことが跡付けられていく。

それでは、誰が、何故にそのような「伝説」を語り始め、敷衍したのか。「鉄道史」というものへの関心は、決して古くはない。また東京、大阪などの大都市以外の地方の歴史、いわゆる「地方史」研究の歴史というものも、むしろ新しく、史料の掘り起こしは、まだまだ盛んになりつつあるところといってよい。結局、誰が何の理由で、と特定できたわけではないが、これが「伝説」であったことは、衝撃であり、興味をそそるものだった。

吉川弘文館の歴史文化ライブラリー222 2006年12月1日第1刷 1700円。

正露丸のラッパ――クスリの国の図像学2008年09月25日 06:19


「正露丸」というと、「ラッパのマークの正露丸」というキャッチ・フレーズと「パンパカパッパ パンパカパッパ パーパパパッパ」という、ラッパの音が思い出される。そもそもは日露戦争に際して、当時の陸軍が、輸入に頼っていたクレオソートを国産化し、さらに生薬を数種加えて開発したのがもとなのだとか。戦争に行って、敵の弾丸に当たって死ぬより、病気で死ぬ方が多かった時代の、大変な武器であった。それが日露戦争後、官から民へ製薬が移り、複数のメーカーが「征露丸」として売っていた。文字通り「ロシアを征した薬」のイメージだ。


ところが、当時の広告を見ても、一向に「ラッパのマーク」が登場していた訳ではなさそうだ。「ラッパ」は木口小平というラッパ卒が突撃ラッパを吹きながら吶喊(ちょっと矛盾)、「死んでもラッパを離しませんでした」という国定教科書のフレーズで、日露戦争とは深く結びついたイメージなのだが、どうやら後世、「正露丸」を買収した大幸薬品が演出したものらしい。――そんなことが、もっともらしく、しかも面白く、その上、楽しい図像も満載した本に出会った。河出書房新社から出版されている。田中聡という、富山出身の人が書いた本。「クスリ」と富山の取り合わせがまた良い。


本の紹介文も良いので、ここに紹介――これぞ新しいドラッグ(薬)の楽しみ方。薬効は、その成分や処方ではなく、名前やパッケージ・デザイン、広告表現や五感に訴える全体のイメージによって支えられている。見ているだけで万病に効いてくるような気がする、愛しい、かわいい、おかしい、懐かしい薬の絵姿を一堂に集めた、大衆薬の歴史博物館。


本の中では、この「売薬売り」、いわゆる配置薬を背に配って歩く「薬売り」の話も出てくる。「薬売り」は「忍者」説。確かに、諸国御免の職業は幕藩時代に多くはない。その中で、この「薬売り」、絶好の隠れ蓑であったに違いないし、情報の流通を媒介する役目も果たしていたらしい。他国のニンゲンが入りにくかった薩摩の国で、禁制であった「浄土真宗」が、維新になった突然、大きな宗教勢力になったことに「薬売り」の果たした力が大きかった、というのはなかなかの卓見に思えた。


天狗と民間療法の薬の関係であるとか、幕藩時代にそれぞれの国で、特産の薬舗が「本舗」になり、全国に売っていった歴史。浅田飴の「浅田」さんが、維新の頃に漢方医で皇族の命も救った名医の名をとったものであることなど、トリビアの海だ。


江戸時代から商品券があった、とは知らなかった2008年09月14日 11:59


江戸時代から商品券があった、とは知らなかった。贈答品にかさばるものを持って行くかわりに、商品切手が重宝がられる。それは今でも同じだろうが、そのようなことがデパートの出来る前からあったとは知らなかった。この本の冒頭、「鰹節のにんべん」という話に、そう書いてある。
「まだ百貨店出現以前のことなので、祝儀にはまず鰹節、不祝儀には銘茶、そして訪問、見舞いなどの手土産がわりには菓子の切手が多く遣われた。それも鰹節は『にんべん』おちゃな『山本山』菓子は『?月堂』と、だいたい相場が決まっていて、これらの店の切手はわれわれ東京市民に親しまれていた」とある。そのうちでもにんべんの商品切手は江戸時代から既に兌換紙幣のように信頼されていた。この店では切手で買いにくる客には、代金を先払いして貰っているのだから、特にいい品を選んで差出すよう心掛けていたという、とも。

にんべんの始祖、初代高津伊兵衛は伊勢四日市の生まれ、13歳のとき始めて江戸に出て、宝永元年(1704)26歳のとき日本橋小舟町に鰹節問屋伊勢屋を創業したのだという。江戸時代、すでに分限者として知られ、高津家にはおびただしい数の浮世絵版画が蒐集されていた、とも。あの界隈には沢山の錦絵版元があり、そのパトロンになっていたので、その見本刷りが寄せられた、と言う話にはナルホドと思う。

仲田定之助著「続明治商売往来」だ。筆者は明治中期に東京下町に生まれ育って、かてて身近に親しんださまざまな庶民の生業の姿と町の風物を愛情込めて描いている――と解説者の「オビ」。懐かしい時代への懐旧だけでなく、つい100年前の東京のことがおじいちゃんの口から語られているような親しみがある。そろえて座右において置きたい。


報道電報検閲2008年08月09日 18:53

報道電報検閲秘史 丸亀郵便局の日露戦争



竹山 恭二さんという人が6日、肺炎で亡くなった、77歳。
「(たけやま・きょうじ=映像作家)」と、新聞の訃報にあった。
これだけでは、知らない人だったのだが、
経歴の中の著書名を見て、思い出した。

「報道電報検閲秘史 丸亀郵便局の日露戦争」(朝日選書)で、
05年の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

この本、である。
何気なく手にとったのだが、
日露戦争というキーワードと、丸亀というと、
「いちたろー、やーい」の出征風景がイメージされた。

この本の「書籍案内」では――
100年前、四国の軍事都市・丸亀。郵便局には連日、新聞記者が駆け込んでいた。しかし送った戦闘情報は、本社には届かなかった。「伝送ヲ停止スベシ」郵便局で行われていた電報検閲では何が削られ、何が残されたのか。その詳細なしくみが、郵政民営化を前に、新出史料で初めて明かされる。肉弾戦といわれた日露戦争。鉄砲より肥え持ち棒を担ぎたいと訴える老兵の肉声。戦場の兵士から届けられた手紙も、また郵便局を通過した。郵便局を舞台に、二つのメディアが伝える日露戦争の実像を描く。
<ヤフーブックス>

確かに、紹介の通りなのだが、
筆者が、なぜそんな話にのめり込んでいったのか、というと、
それは偶然に古本屋で手に入れた電文の綴りであった、ということ。
そこから、「電報探偵」が、当時の検閲のシステムを追いかけていく。

これは最近になって、知ったことだが、
日本では、明治維新政府が、ほかのことを措いても
全国に電信・電報の網を張り巡らせることに情熱を注いでいる。

この木と紙で出来た住居、長屋の風景の中で、
電信柱と電信線が異様に張られていることに、当時日本を訪れた
外国人が異様な印象を残している。

電信=情報の速度、量というものが、
中央政府にとって、どれだけの力を与えたのか。
そして日露戦争ですでに行われていた電信への検閲。

細かな記述については忘れたが、
この時期に、真宗大谷派など、宗教団体の活動が
電報と絡んで、旺盛であることが印象的であった。


ウイニー2008年07月28日 18:43

『アウト・オブ・コントロール―ネットにおける情報共有・セキュリティ・匿名性』.html 『アウト・オブ・コントロール―ネットにおける情報共有・セキュリティ・匿名性』

『アウト・オブ・コントロール―ネットにおける情報共有・セキュリティ・匿名性』




「はじめに」の冒頭、こう書き出している。「21世紀に入って、ちあきなおみがちょっとしたブームを迎えている」。1992年に夫が亡くなってからはプッツリと、舞台からは消えてしまっている彼女だから、その現役での姿、歌声を知らない若者の方が多いのだろうが、そんな状況の中で、このようなブームが生まれてくる背景への導入部だ。CDボックスだとか、BSの特集などというものも勿論あるのだが、動画投稿サイト、YouTubeにアップロードされた彼女に接することで、彼女を初めて体験する人たちも増えているという。ちあきなおみに限らないのだろう。いま、そういう多メディアの時代にいる、その万華鏡の1片のようなものだ。

主題は、ファイル共有ソフトである「ウイニー」を巡って、そのソフト開発者が逮捕される、ということについての疑問、広がる「統制不可能なネット」というものについて、である。

そもそも、「ウイニー」の開発は、02年4月1日、「2ちゃんねる」の掲示板に現れた匿名の書き込みから始まる。スレッドの名は「MXの次はなんなのだ?」。そこに匿名氏は「暇なんで freenet みたいだけど2chネラー向きのファイル共有ソフトつーのを作ってみるわ。もちろんWindows ネイティブな、少しまちなー。」 これが後に、世間を騒がせることになるウイニーの開発宣言。因みに、スレッドの47番目の書き込みだったことから、「47氏」と呼ばれることになる。

「著作権」という権利が持つ意味、さらに情報流通さえをも妨げることになりかねぬ「著作権」という制度。技術と情報量の増大、コントロールがきかぬことへの不安……。多くの論点の中で、筆者が言いたいのは、以下のようなことであろう――。
ユーチューブやウイニーのもつ重要な特質は、中央集権的なやり方では制御不可能だということだ。度重なる情報流出や著作権侵害の取締りが現状ではきわめて不十分に見える現実が、この制御不可能性を示している。その半面で、誰かがコントロールしなくても、ユーチューブやウイニーには違法・合法を問わず様々なコンテンツが提供されており、ユーザー間の情報共有自体はそこそこうまくいっている。制御が不可能であると共に、誰かのコントロールがいらないという意味で、ユーチューブやウイニーは「アウト・オブ・コントロール」な存在だといえるだろう。


作成日: 2008年7月28日(月)