蟹のつぶやき kanikani

牛に引かれて……2008年09月03日 00:08

牛に引かれて……2008/09/03 00:08

牛に引かれて「善光寺まいり」をして参りました。それにしても、何で「牛」? ――素朴な疑問があった。日常的な意味では「思いがけないことが縁で、また、自身の発意でなくて、他のことに誘われて偶然によい方向に導かれること」(『日本国語大辞典』小学館)らしい。もとはといえば「昔、信濃善光寺近辺に七十にあまる姥ありしが、隣家の牛はなれて、さらしおける布を角に引きかけて、善光寺に駆け込みしを、姥おい行き、初めて霊場なることを知り、度々参詣して後生を願えり。これを、牛に善光寺まいり、といいならはす」そうで、『本当俚諺(ほんちょうりげん)』という説話があり、大阪府藤井寺市小山の善光寺(浄土宗)所蔵『善光寺 曼茶羅 一幅』(桃山時代)には、それを裏付けるような本堂の階段を駆け上がる牛と姥の絵が残されているのだそうだ。 それにしても、不思議といえば不思議なお寺だ。お寺を表す「山号」は普通ひとつで、それを表す「山額」も一つなのだが、ここには4つもある。山号は定額山(じょうがくさん)。東門を定額山善光寺、南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)、北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とする。昔から「四門四額」というのだそうだ。 考えてみれば、日本では仏教が今のように諸宗派に分かれる前には、宗派の別なく宿願可能な霊場という位置づけのお寺があったらしい。今でも、善光寺さんは、天台宗と浄土宗の別格本山ともなっていて、天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されているという。大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職を勤めている。大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えている。現在は鷹司家出身の鷹司誓玉が121世法主となっている。 さて、このお寺、日本仏教の中でももっとも古い時代の仏さんの縁で、大阪と結ばれている。そもそも本尊の阿弥陀さん。もとを質せば、欽明天皇の時代に百済の聖明王から献呈された、日本に齎された最初の仏さんといわれる。が、蘇我氏と物部氏による崇仏廃仏論争の対象となり、捨てられた。その場所が大阪は難波の堀江。落語のネタになっている阿弥陀が池であった。「この仏像を602年(推古天皇10年)頃、本田(本多)善光という者が発見し、出身地である信濃国麻績の里(おみのさと、現在の長野県飯田市座光寺)に持ち帰って祀ったという。その後642年(皇極天皇元年)、阿弥陀如来が善光に命じたところにより現在の長野県長野市に移され、ここに建てられた堂宇が今の善光寺の始まりとされる。」(ウィキペディア)。善行を積んだのではなく、善光さんという人の名前が被せられているのが面白い。 お寺の本堂をお参りした後、裏手に廻ると、いろいろな供養の塔や記念像がある。戦没者の慰霊はわかりやすいが、行方がわからなくなった郵便物の供養などとは、なかなか思いつかない。おまけに乳を搾った牛たちの供養に人形ならぬ「牛形」まである。これも「牛にひかれて」ということなのかもしれないが……。

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