蟹のつぶやき kanikani

「天皇と東大――大日本帝国の生と死」について2007年07月15日 18:56

立花隆の著書。文芸春秋に98年2月から05年8月まで計70回にわたって連載した「私の東大論」をまとめたもので上下2巻もの。


「はしがき」で立花はいう。
――お読みいただければわかるが、その内容は「東大論」というよりは、日本の近現代史そのものである。長い長い鎖国の時代が終わったあと、日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのようにして現代日本(戦後日本)につながることになってかを、「東大という覗き窓」を通して見た本である。いってみれば、これはメーキング・オブ・現代日本というおもむきの本なのである。

この分厚い本を、私はトイレに置いて、少しずつ読んでいる。便器に座るごとに2-3ページ、小見出しの1つか2つづつ読んでいくと、明治時代のカタカナ書きの文書の引用文も、さほど苦痛にはならない。(だからまだ、全体はおろか、上巻の半分くらいしか読み終えてはいないのだが……)


立花は、またこういう――。
そして、この長大な連載を書きあげることで、近代国家成立の前史から「帝国の時代」の終わりまで、すなわち前期現代史と後期現代史のつなぎ目のところ(終戦前後)までを一目で見渡せるようになった。それによって、ようやく、その「どうして」と「なぜ」見えてきたような気がする。

まさに、わが国の近現代史について調べ始め、勉強をするのには格好な書物である、といえそうだ。

東大の成り立ちを記した「第1章 東大は勝海舟が作った」「第2章 明治4年、東大医学部は学生の8割を退学させた」といったあたりは、いわば東大に関するトリビアのようなものだが、明治維新政府というのが、尊皇攘夷の旗印から、政権を奪取したとたんに西洋実学を取り込むこと、その知識の習得、エリートの官吏を作ることの緊急性に果たした歴史が描かれている。


「第3章 初代学長・加藤弘之の変節」「第4章 『国体新論』と「天皇機関説」」あたりからが、まさに立花の「覗き窓」の真骨頂が見えてくる。
つまり「はしがき」でいうところの、「タイトルを『天皇と東大』にした理由」の本番。

――日本の近現代史における最大の役者は、なんといっても天皇だった。その時代時代の個別の天皇がどれだけ大きな役割を果たしてきたということではない。天皇という観念、あるいは制度としての天皇が中心的な役割を果たしてきたということである。日本の近代は、約700年にもわたってつづいてきた武家政権(鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府)をひっくり返して、天皇中心の国家に戻してしまう、復古的革命としてはじまった。そして復古的王朝制度としてはじまった維新後の天皇制に欽定憲法というバックボーンを与え、それによって、復古的天皇制を近代的立憲君主制皇帝制度(天皇制)に打ちかえ、擬似古代王朝国家を一挙に近代国家に脱皮させてしまうという一大政治トリックをやってのけたのが、明治の指導者たちだった。

このようにしてつくりあげられた「大日本帝国」に君臨する君主としての天皇は、一時代まえのヨーロッパに君臨していた絶対主義的君主に近い性格を持つと同時に、歴史時代以前から日本に君臨していた坐術王としての天皇の性格をもちあわせ、また、古代日本において大化の改新という武力革命(明治維新の王政復古はこれを範にとった)によって政治権力を確立した武力王としての天皇の性格もあわせもつ(明治天皇以来天皇の正装は陸海軍全軍を一身で統帥する大元帥服だった)一種独特な存在だった。天皇はある場合は、近代国家をつくりあげることに邁進する開明的な君主の役を演じ、あるときは、文武両官の上に君臨する絶対君主の役割を演じ、またあるときは、まつろわぬ者たちを征伐して、天下を統べたいらげんとする武力王の役割を演じた。

天皇は天皇をあがめたてまつらんとする人びとのそのときどきの思いなしが二重三重に投射されるが故に、あまりにも定義しがたい存在である。それ故に天皇は同時にあまりにも多面的な性格を持たされた日本独特のまか不思議な政治装置として機能してきた。
その天皇が、ある時期(昭和戦前期)から、ウルトラナショナリストの国粋主義的シンボルとなってしまった。それはその当時、アジア全域に武力国家として膨張し版図を広げようとしていた帝国日本の政治シンボルだった。同時にそれに国粋主義的現人神神話が結びつくことで、天皇は政治と軍事と宗教が一体化した強力無比な神聖シンボルとなっていった。

そしてこの神聖シンボルが日本国の最高価値としてあがめられ、日本人の全生活を律する原理となっていった。それが、天皇機関説問題を契機としてはじまり、日本中が瞬く間にそのとりことされた、「国体」という観念が日本を魔術的に支配した時代に起きたことである。あの価値の大転換時代に、その後の日本の大破局はすべて準備されてしまうのである。そのような大転換(国体の魔術的支配)が起きた主たる舞台は東大だった。その少し間の時期、左側からの天皇制国家攻撃が一世を風靡し、革命の時代の到来が叫ばれた。それも主たる舞台は東大だった。そしてそれに対する反動として、右翼ナショナリストからの左翼攻撃がはじまり、やがて右翼ナショナリストはテロに走っていく。右翼学生運動の中からテロリストが生まれ、そこから時代を動かす大ドラマが展開していく。その舞台になったのも東大だった。というわけで、この時代の動きをおさえるのにいちばんいい場所は東大だったのである。

――長い引用になったが、立花が以降、詳述していく話をひっくるめてまとめれば、以上の点に尽きる。詳述はまた。