蟹のつぶやき kanikani

馬は食えずに熊を食った2008年05月28日 16:20

かつての同僚F君と旅に出た。先週金曜日のこと。
いつ廃線になってもおかしくないローカル線から庄内を廻る3泊4日の旅だった。
F君のアレンジでまず、米坂線から。山形県の米沢と新潟県の坂町を結ぶ線で、1日に6本程度の列車しかない。

米沢で山形新幹線を降り、いよいよ米坂線に。ホームは「0番線」で、これまで米沢から乗ってきた軌道の隣というか、先というか、駅舎からいえば200~300mも引っ込んだところにある。これでまずビックリ。2両編成のワンマンカー。前の車両は冷房が効くが、後ろは効かないとのアナウンス。効かすことができないのか、それとも効かさないのか。

事前の調査で、F君が気になったのが、途中駅の今泉駅から歩いて3分の「馬肉ラーメン」の店。インターネットで見つけた。
このラーメンのために腹にスペースを空けながらやってきたので、時間は3時半に近い。インターネットの画面には営業時間は11時~16時、17時~20時、定休日は水曜日、とある。しかし……。急に不安になったF君、携帯で件のラーメン店にやっているかの確認の電話を入れた。「いつも4時までやってんだけど、きょうは都合で、いま閉めた」。約束と違う。「馬肉ラーメン食べるために、ここまでやって来たのに」。請願は受け入れられなかった。

といって、ローカル線のこの列車、今泉というこの駅まででストップ。きょうの目的地の「小国」まで辿り着かない。次の列車までは1時間余り。せめてその店構えだけでも、と駅から歩き始めた。が、何をナニオ、「駅から3分」のラーメンの店は、行けども行けども見当たらない。やっと辿り着いたのは10分近くかかったように思えたのは初めての道だったからか、田舎の人の足は速いのか……

確かに店はあった。「本日休業」の看板と暖簾が、店の中に見えた。昭和5年ごろに、この地に草競馬場があったこと、田畑の耕作に牛より馬が利用されていたことなどが、馬肉ラーメンの発祥に大きな背景をなしているらしきことだけは分かった。
http://www.e-dcs.jp/kameya/mind.html

せっかく、期待していた馬肉(本当は、それほどでもない、話のタネ程度ではあるが)に振られ、次の列車で小国へ。駅から、町営のバスで行けばよいのだが、接続が悪すぎ、タクシーで飯豊山めざして行く。

途中で高度が上がってくるに従って、タクシーの車内に冷気が満ちてくる。見ると正面の山の腹には雪渓が残っている。こりゃあ、まだまだ寒い所へやってきた。
雪渓の山を正面に、足元に渓流を見ながら、露天風呂に入り、晩飯。

山菜、アマゴ、牛のすき焼き風、といろいろ皿に鉢が並んだ。ダメ押しが「熊肉のスープ」だった。F君、旅館の注文の際に、何か「特別料理」風のものを付け加えて申し込みをしたらしいが、それがよもや「熊」とは思い及ばなかったらしい。

そもそもこの飯豊山麓はマタギの里でもあった。熊は親しい狩猟の対象ではある。
さて、そのお味。ぶつ切り風の肉の食感は、歯ごたえあり、硬すぎはせず、脂の乗り方もほどほど。ただし、何度も食べたいかといえば、それほどではないかもしれない。ただ、これは確かに話のタネには十分であった。