蟹のつぶやき kanikani

ハードル為末大2008年07月12日 15:32

陸上競技、なかでも短距離のトラック競技というのは、恵まれた体力を持つ者の独壇場なのではないか、と思ってきた。かのカール・ルイスのような抜群の筋力であるとか……。しかし、どうもそれだけではないらしい。ハードルの為末大選手。文字通りの「障碍」を飛び越え、ゴールを目指すという競技。ハードルを跳ぶという行為は、レースの中では、単にハードルを越えると言う以上に、意味のある行為であるようだ。

――NHK総合テレビで「スポーツ大陸」を見た(11日午後10時から)。
スポーツ選手という感じより、求道僧のような印象だ。

世界選手権400mハードルで、2度の銅メダルを獲得している為末選手。北京の五輪で「金」を目指す。オフィシャルサイトのプロフィールによると、身長170cm。体重66kg。日本の選手でも、身長・体重で為末を上回る選手は少なくない。世界では、さらにそうだ。その中で、為末が銅メダルを2度獲ってきたのは、何か。為末が持っているハードリング、つまりハードルをうまく跳び抜ける技術がある、ということらしい。ただ、為末は言う。「ハードルを飛び越えるための、踏み切るポイントが決まっていても、それを興奮し、緊張している状態のなかで、きちんと平常通りにできるかどうか、だ」と。できそうでいて、単なる技術というだけの勝負であるわけではなさそうだ。

このドキュメントで初めて知ったが、為末はこの競技に関して、高校を卒業した時から、いわゆる「コーチ」を持たない。自身が「コーチ」であり、選手でやってきたのだという。日々の練習のメニューも、大会への参加などについても、自身で考え、自身で決定している。「酒屋でのプロ野球談義でも、贔屓のチームがなぜ負けたのか、そして、どうしたら勝てるのか、という反省や、未来への望みについて話すこと、それこそが楽しみなのだと思う。その過去の成績についての分析をして、次の闘いのために、どのように練習のメニューを作っていくかが、一番の楽しみのはず。それを他の人に委ねてしまうのはもったいない」。反面、何かがあっても、巧くいかなかったことをコーチ初め、他者に転嫁することはできない。責任は、良くも悪くも自身で引き受けるよりしかない。

そんな中で、為末は北京での「金」のために、「ハードル」に1年間、封印をする。ハードリングでは勝てても、それからゴールまでの間で、世界の選手に「走り」で負けてしまうと、「銅=3位」でしかありえない、ということから、基本である「走り」に専念する。ハイハイを始めた甥の動きも、走りに加える試みもした。練習でもハードルを跳ばず、「走る」ことだけに専念してスピード強化に努めた。

しかし、その成果を見せるべき2007年の世界選手権で、まさかの「予選敗退」。成績は以前の自身の成績に比べても、大幅に遅いものだった。「早く走ることへの動作と、ハードルの手前で、それを跳ぶための動作というのが、同じように見えて、走っていると、逆の動きになってしまっている」と、一種の違和感まで分析した。そこにアキレス腱など足の筋肉の痛み、というアクシデント。北京五輪への予選会が刻々と近づいてくる。走れない。練習ができない。故障の回復と練習をすることとの間の相克。自身がコーチであることの一層のつらさも襲ってくる。

6月末の日本選手権。予選では通過8選手の一番ビリだった。2位までに入らなければ北京への切符は手に入らない。大方の予想は、為末に目はない、というものだった。ところが奇跡は起きた。映像では、スタート前の為末の緊張した顔を、表情をジッと追っている。その表情から、何かの作戦を立てている、という論理的なものは感じられない。むしろ獲物を狙って走り始める動物の気配だ。

為末の公式ブログ――。
レース後にレースの事を書くのが常のこのブログですが、今回の結果に関しては私自身がよくわかっていません。予選の後に冷静に分析しまして、2着だと踏んでいましたので、今日はそれを狙っていました。
 2着に入らなければ五輪の候補から外れてしまいますし、とにかく最低ラインをそこに持っていきました。この状態で1着を狙うのは危なすぎると思ったからです。ミスしたらハードルにぶつけて転倒すらあるという感触がありましたから。

 とにかく神経が張りつめていたので、心の余裕がありませんでした。人に会ったり談笑したりということができなかったので、ずいぶんと不躾だったかもしれません。そうだったらごめんなさい。とにかくこんなに追いつめられたのは久しぶりです。
 こういう時はぶっとんでしまうのが私の癖なので、スタートから行き過ぎないようにちゃんと冷静にと心がけていました。心がけていたのですが、スタートのピストルが鳴った瞬間にとばしてしまっていて、行くな行くなと自分で抑えたんですが抑えきれず、そのまま行ってしまいました。後の事はあまり覚えていません。気がついたら10台目を越えていたのでこれでもかというぐらい頑張りました。

 感情にまかせて突っ走ってしまって、結果たまたま優勝したというのが正直な実感ですが、それでもこういう事があるんだなという不思議な気持ちでもいます。
 決勝に残った8人の中で一番追いつめられていて、一番緊張していたと思うのですが、最年長でそういう心境に至るという事実について、これはこれでいい事なのかなと思いました。成長しているようで成長していないのかもしれません。

 とにもかくにもオリンピックに近づきました。こうやって急に追い風が吹いてくると調子に乗ってこのまま何か起きるんじゃないかと思い込んでしまうのは悪い癖です。でも、癖が悪いとは限らないというのは今日で重々わかりましたし、それが本来の姿ならそのまま行ってしまうのも悪くないなと思っています。

――格好が良すぎるかもしれない。

番組のインタビューで「ロシアン・ルーレット」の喩えを使っていた。「金メダルか実弾が、確率2分の1でも、やってみたいと思ったんですよね。そういう賭けって嫌いじゃないんです」。銅ではなく、金を狙うためには、それしかなかったかもしれない。「失敗したら、結局、なにもできなかった男、ということになるんでしょうね」とも。それだけに、足の痛みで北京へのトライアルに立てないのでは、という恐怖は強かったようだ。「ちょうど、柔道で井上康生君が引退の会見をしているのを見ましたが、ぼくも同じ側にいてもおかしくない立場ですからね」。

10代目のハードル。を跳び越えた後の直線、為末の走りのスピードは、これまでの加工曲線ではなく、より早い回転に見えた。その映像は、用意をされたシナリオに従って撮られているかのようだった。

記憶に残るドキュメンタリーとは、ドラマより、ドラマティックであるものだ。
全体には「求道僧」という印象が間違ってはいないように思えた。自身を突き放したようにすら見える冷静さ、論理立て。そういったものがなければ、恐らくは彼の自身がないのであろう、とも。だが、最後のレースでは、やはり論理ではなかったのかもしれない。「感情」というより、「情念」という言葉の方が、多分ぴったりするのだろう。

北京五輪を見る楽しみが、また一つ増えた。

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