名人戦 森内俊之vs羽生善治 ― 2008年07月16日 00:47

何かの”勝ち”が見えた時、羽生の盤面に駒を差す指先が震える。これまでに活字では、その場面の再現を表現として見たが、このテレビのドキュメンタリーは、生の映像で、それを見せてくれた。
15日NHK総合 「プロフェッショナル 仕事の流儀」のドキュメンタリーだ。タイトルは「ライバルスペシャル 最強の二人、宿命の対決 名人戦 森内俊之vs羽生善治」
番組宣伝のHP に曰く――将棋界で最も伝統のあるタイトル・名人戦。今年の対局は、4期連続で名人の座を守る森内俊之(37)と挑戦者・羽生善治(37)。二人は、「宿命のライバル」、同期で同い年、小学4年生以来、27年に渡ってしのぎを削ってきた。――
NHKのドキュメンタリーの系譜の中で、今回の「プロフェッショナル」は、流れの中でちょっと異色な感じがした(私の勉強不足かもしれないが)。この番組では多く、一人のプロの技を追求していく形で、対局者のようなものについては少ないような気がしてきた。
提示されると、改めてそう思うが、若くして七冠を手にした天才肌の羽生と、その背を追いかけ、30代では「その関係」から開き直り、永世名人の地位を先に奪った森内。その二人のドラマが、ドラマとして映し出されていた。
緒戦から、一局ずつを、かなり丁寧になぞりながら、スタジオのインタビューも夫々の個人インタビューの形をとったことも、結局は成功しているようだ。
棋士が目指すのは、将棋でも囲碁でも、定石から飛翔して、最善の手を棋譜に残すこと。勿論、その前に現世的な棋戦での勝利があるにせよ、である。細かな対局の一つずつの指し手は分からないが、最善手を打ち続けていられれば、あるいは負けがない、絶対的な勝利が得られるだろう。だが、理想的な棋士であっても、やはり人間であることは間違いない。その中で、対局者も考え及ばない「一手」が飛び出す。だが、それが絶対的な優位を得るかと言えば、それだけでもない。勝負に対する「見通し」「読み」の早さは、年を追って見えてくるのだろう。だが、それだけでない「執念」からの逆転劇もある。一巡した羽生にとって、この名人戦は一つの踊り場になるのかもしれない。
常識破りの「閃き」の羽生、重厚な「受け」で相手の気持ちの揺れすら誘う森内。
かつて枡田vs大山があり、加藤一二三vs中原誠の時代もあった。「ライバル」がそれぞれの「プロフェッショナル」な部分を磨いてゆく。「相手がいなければ、ひとりでここまで来たか、来られたかというと、そうはいかなかっただろう」。切磋琢磨とは、文字通り、そうなのだろうが……
15日NHK総合 「プロフェッショナル 仕事の流儀」のドキュメンタリーだ。タイトルは「ライバルスペシャル 最強の二人、宿命の対決 名人戦 森内俊之vs羽生善治」
番組宣伝のHP に曰く――将棋界で最も伝統のあるタイトル・名人戦。今年の対局は、4期連続で名人の座を守る森内俊之(37)と挑戦者・羽生善治(37)。二人は、「宿命のライバル」、同期で同い年、小学4年生以来、27年に渡ってしのぎを削ってきた。――
NHKのドキュメンタリーの系譜の中で、今回の「プロフェッショナル」は、流れの中でちょっと異色な感じがした(私の勉強不足かもしれないが)。この番組では多く、一人のプロの技を追求していく形で、対局者のようなものについては少ないような気がしてきた。
提示されると、改めてそう思うが、若くして七冠を手にした天才肌の羽生と、その背を追いかけ、30代では「その関係」から開き直り、永世名人の地位を先に奪った森内。その二人のドラマが、ドラマとして映し出されていた。
緒戦から、一局ずつを、かなり丁寧になぞりながら、スタジオのインタビューも夫々の個人インタビューの形をとったことも、結局は成功しているようだ。
棋士が目指すのは、将棋でも囲碁でも、定石から飛翔して、最善の手を棋譜に残すこと。勿論、その前に現世的な棋戦での勝利があるにせよ、である。細かな対局の一つずつの指し手は分からないが、最善手を打ち続けていられれば、あるいは負けがない、絶対的な勝利が得られるだろう。だが、理想的な棋士であっても、やはり人間であることは間違いない。その中で、対局者も考え及ばない「一手」が飛び出す。だが、それが絶対的な優位を得るかと言えば、それだけでもない。勝負に対する「見通し」「読み」の早さは、年を追って見えてくるのだろう。だが、それだけでない「執念」からの逆転劇もある。一巡した羽生にとって、この名人戦は一つの踊り場になるのかもしれない。
常識破りの「閃き」の羽生、重厚な「受け」で相手の気持ちの揺れすら誘う森内。
かつて枡田vs大山があり、加藤一二三vs中原誠の時代もあった。「ライバル」がそれぞれの「プロフェッショナル」な部分を磨いてゆく。「相手がいなければ、ひとりでここまで来たか、来られたかというと、そうはいかなかっただろう」。切磋琢磨とは、文字通り、そうなのだろうが……
最近のコメント