蟹のつぶやき kanikani

文化大革命40年目の証言2008年12月21日 19:07

10万枚の写真に秘められた真実


「造反有理」。文化大革命とは、いったい何だったのか? 学生時代に隣の国で起きた社会運動は、決して他国ごとでなかった。

NHKのBShiで17日に放映された「文化大革命40年目の証言」は、BS1で06年7月に革命40年を機に制作・放映されたものの再放送だ。NHKが「アーカイブス保存番組検索」用に要約したものによれば「文化大革命を10万枚の写真に記録した中国人写真家・李振盛さん。写真をもとに、40年後の今年、そこに写し出された人々を訪ね文化大革命とは何だったのかを探った」。
李振盛さんは文革当時、中国黒龍江省で新聞カメラマンを勤め、職場での「造反派」のリーダーでもあった。それが、運動をしていく中で疑問をもつようになる。紅衛兵たちのやりすぎや、告発している者への疑問を感じるようになる。これを撮影しても、新聞に掲載されるのは、当たり障りのない大衆運動のものだけ。それ以外の過激な運動に対しては、撮影することすら当局が制限するようになる。「撮影して後世に残す」べきだと思い、危険と隣りあわせで、撮影したフィルムのカットを隠しながら、また撮影を続けた。文革は「告発」「密告」の時代でもあったようだ。李さん自身が疑われる番になる。家宅捜索で、隠し持った写真が見つからなかったことを幸いに、李さんは10万枚のコマを密かに隠し持ち、アメリカへと移住した。そして最近、文革写真集を出版、それを機会に、40年後からみた文革を、当時フィルムに定着された主人公たちに語ってもらうべく、中国各地を歩き始めた。その記録だ。

最初は、李さんが初めに疑問をもつようになった一つの場面、黒龍江省の極楽寺という寺の糾弾の場面だった。寺の僧侶たちが、「大衆」に対して糾弾を受ける姿だが、そのすぐ脇に並び、なぜか笑みさえ見せている一人の僧が写っている。この僧が仲間や先輩たちを「告訴」して、毛沢東思想普及の先頭に立ったのだ。当時すでに60歳近く、うだつの上がらない僧に見えた。「あれは告発に似せた僻みや憎しみだったのではないか」。その僧は、今回訪ねると同じ寺のいわば「上人」になっていた。数年前から寝たきりになっている彼は、李さんの文革当時の話について「聞かんでくれ。聞かんでくれ」というだけで、向こうを向いてしまう。その声は、当時のことを思い出すのも苦痛である、という苦しげな声に聞こえた。

次に尋ねたのは黒龍江省の行政のトップ、省長の糾弾風景に関わりのあった人たちだった。糾弾の写真は、大運動場一杯にあふれる紅衛兵大衆の前で、先をきって省長の頭にバリカンを当てている紅衛兵の姿だ。バリカンの刃を逆にして、敢えて省長に苦痛を与えながら丸坊主にしている――。省長の娘が親の女性関係を告発したのだと言われていた。その「娘」を探すうち、省長の次女の話を聞く。彼女は当時、紅衛兵の省の代表として北京の大会に出席し、毛沢東主席とも握手をしてきた。しかし、親の女性関係の話というのは、作られた罠で、姉が「脅されて」告発書を書いた、のだという。次女は以来、40年余り、彼女とは会っていないという。そして李さんの訪問にも「ノー」だった。

この省長にバリカンを当てている紅衛兵たちの消息については、当時の大学関係者を当たっていて、多少の情報が得られた。彼らの具体的な名前が分かったわけではないが、彼らが大学の中でも、党幹部の子息たちで、親を守るためには敵対する党幹部を糾弾するしたなかったのだ、という裏事情で、彼らが40年後に証言をするわけも、その後の所在もわからないだろう、とのことだった。

李さんは、そのほかにも運動の中で、10歳余りの少女が毛沢東賛歌を巧みな踊りとあわせ披露していた写真から「髪の黄色い少女」の40年後を探し当て、また毛沢東思想を多く学んだとして英雄とされ、胸といわず兵隊の服全体に紅衛兵たちから毛沢東バッジをつけられたた兵卒の写真と、現在の彼のインタビューなどもしている。紅衛兵たちが手に手に掲げ、打ち振った赤い表紙の毛沢東語録に書かれていた「修正資本主義への逸脱でなく、共産主義の本道へ立ち戻るべき道筋」などの言葉は美しかったが、現在の中国をみれば、それはまさしく金が支配している社会……。そんな言葉も聞かれた。

40年余前、学園闘争のスタイルが、カルチェラタンからの影響だけではなかったことは明らかだろう。当時、その理論が知らされ、共鳴を得たことに間違いはない。それが「紅衛兵」であり「毛沢東語録」だった……。だが、その国での実際の運動は、必ずしも理論の実践ではなかったようだ。三角帽子での自己批判強要があり、破壊があり、虐殺さえあった。中国での10数年にわたる「革命」が残したものは何であったのか。歴史の総体などというものは、その時代に身をおいていながら、あるいは身を置いているゆえに見えないのかもしれない。「文化大革命」とは、私にとっても、そんなものの一つであるようだ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kanikani.asablo.jp/blog/2008/12/21/4019640/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。