蟹のつぶやき kanikani

3億円2008年12月10日 17:23

もう40年前になるのだな、と感慨ひとしおである。あの「3億円事件」。 1968年(昭和43年)12月10日午前10時前に、その事件は起きた。いまさら「3億円事件」の説明をするまでもないだろう。その日、私は入社1年目、四国のある県都の警察本部の記者クラブで、この事件の一報を聞いた。当時、大事件が発生したといっても、NHKを含めてテレビの速報体制というのは、まだまだであった。 それでも正午前には、事件のあらかた、輪郭が浮かび上がってきた。 白バイの警官を装い、現金輸送車を止め、爆弾が仕掛けられている恐れがある、といって発煙弾で煙を発生させ、輸送車から乗員、警備員を離れさせて、輸送車に乗込んで逃げ去った。輸送車には、東芝府中工場の行員らのボーナスがジュラルミンの箱に収められ、概ね3億円。2億9430万7500円が載っていた。 男は、犯行現場から逃走用の車を置いていた第2現場に輸送車を乗り捨て、非常線をあっという間にかいくぐり、逃走した。 「なんと3億円」。いまでもジャンボ宝くじの当籤額だが、当時のまずまずと思われた初任給本給がざっと3万円。それ以前の高額盗犯の被害額が3100万円であったことからいっても、今考える額の何十倍もの値打ちを感じたものだ。 それを、ダレも傷つけることなく、演技プラン通りに盗みきった。「まんまと」という表現は、この犯行のためにあるようなものだと、世間一般、この犯人に喝采を送ったというのが本音だろう。 だれもが傷つかず、輸送した銀行も、盗まれた金が保険で戻ってくる、現に翌日には東芝府中の行員さんたちに、たっぷりであったか増減なくボーナスが支払われた。 「直にも犯人は挙がる」。当時、世間の会話は3億円事件をおいては語れないほど挨拶がわりだったから、取材して廻るお巡りさんたちのダレもが、自信を持って、早期検挙を語っていた。「これだけ物証が残っているんだから……」 結果は、歴史が語っている。 それにしても、あのモンタージュ写真。 「3億円事件」と「グリコ・森永」のキツネ目の男の似顔絵くらい、人々の網膜に刻み込まれた「顔」はなかったかもしれない。「3億円」は、その点でもハシリであった。

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